“Day by day, in every way, I’m getting better and better.”
「日々に、あらゆる面で、
私は益々よくなってゆく」
クーエの有名な暗示文です。
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それからあたしは、靴をはかなくなった。
そして電話に出なくなった。
誰とも会えなくなった。
誰とも話せなくなってしまった。
そうして今に至る。
もう3ヶ月になる。
猫が戻ってきてから、一度も不動産管理会社とは関わってはいない。
彼氏はまだ怒っていたけれど、あたしはもう疲れていたし、
何よりあたしが、生まれて初めて人を罵る程必死だったのは、
この子が、例え毛の一本でも戻ってきてくれる為であって、
今横で幸せそうな顔をして眠っているこの子が居れば、
あの人にされた事も言われた事も、それに比べれば何でもない事だった。
だがそうやって篭ってばかりもいられない。
こうやって本格的に篭ることは、実は3回目なのだけれど、
今回が一番やっかいだった。
病院には今回も通っている。
今回は新しい病院。
あたしは言った。
「外に出たい。働きたい。もう、忘れたい」
「外に早く出たい。でも、眠くはなりたくない」と言ったので、
白い服の人はトレドミン25をメインにだして、
安定剤はどんどん効果の少ないものになっていった。
薬はどんどん増え、きつくなって行く。
「効いてないんです。外に出られない。もっと、もっと薬を」
だがもうあたしに出されていた薬は全てリミット量らしく、
あたしはこれ以上は楽になれないのかと、その申告にひどく失望した。
簡単に言うとアップ系、
意欲は高まるがイライラもしてしまう薬を多用していたので、
この頃のあたしは酷く気が荒く、喧嘩っ早かったのを覚えてる。
何度か通ったある日、白い服を着た人は言った。
「薬が結果を出していない。きっかけの様なものが、必要ですね」
あたしは葛藤していた。
外にでなきゃいけない、社会通念として、出なければいけない。
そして何より自分のために、
「忘れたい。外に出て忙しく働いて全て忘れたい」
という強迫観念があった。
でも実際には出られない。怖くて怖くて外では息ができない。
無理やり電車に乗ってみたら数駅目で吐いてしまった。
おまけに一人で病院にも行けない。
社会常識から判断し、酷く自分を卑下していたあたしには、
この頃の葛藤は、とても辛かった。
そして何よりつらかったのが、夢を見ることだった。
赤ちゃんが叫ぶのだ。
なんて叫んでいるのかは覚えていないのだけれど、
起きたら泣いていた。
そんな日が続く。
あたしは、日に日に狂っていった。
そしてある時から突然、昼間パニックを起こす様になった。
「生きたい!死にたくない!!行きたい生きたい生きたい死にたくない!!!」
と叫んで物を投げ散らかすのだ。
4年位前、ごく一般的なうつで悩んでいた時は、
自分の存在を消したくて、
布団の中で消えてしまえればいいのにと思っていたけれど、
こんなタイプのパニックは初めてで、自分でも混乱した。
あたしはおそらく、生きたかったんだろう。
そしてそれを大声で叫ばなければいけないほど、
あたしは死にそうになっていたのだろう。
赤ちゃんができたといわれた時、優しくおなかをさすった。
赤ちゃんが今死のうとしているその時、あたしは激痛の中で、
赤ちゃんと自分を同一視していた。
「痛いのかな、痛いのかな。少しでも、少しでもこの子が、
少しでも苦しまずに、あの世にいけますように。」
激痛の中そう祈り、泣きながら、
情けないあたしは言葉を発したのを覚えてる。
そして、あの子は逝ってしまった。
あたしも、一緒に逝って欲しかったかな。
一緒に逝ってあげたほうがいいのかな。
逝ったら喜んでくれるのかな。
でも
死にたくないよ まだ 死にたくない
勝手だけれどあたしはまだ 死にたくない。
あたしの中で、狂気と正気がぶつかり合う。
やがて正気は狂気で、狂気は正気になり、
ぐるぐるとしたあたしは、引き込まれる様に日々死にそうになる。
死にたくない
死んでしまいそう
死にたくない!!
死んでしまいそう
死にたくない!!!!
そしてあたしはある日、とうとうODをしてしまった。
そして電話に出なくなった。
誰とも会えなくなった。
誰とも話せなくなってしまった。
そうして今に至る。
もう3ヶ月になる。
猫が戻ってきてから、一度も不動産管理会社とは関わってはいない。
彼氏はまだ怒っていたけれど、あたしはもう疲れていたし、
何よりあたしが、生まれて初めて人を罵る程必死だったのは、
この子が、例え毛の一本でも戻ってきてくれる為であって、
今横で幸せそうな顔をして眠っているこの子が居れば、
あの人にされた事も言われた事も、それに比べれば何でもない事だった。
だがそうやって篭ってばかりもいられない。
こうやって本格的に篭ることは、実は3回目なのだけれど、
今回が一番やっかいだった。
病院には今回も通っている。
今回は新しい病院。
あたしは言った。
「外に出たい。働きたい。もう、忘れたい」
「外に早く出たい。でも、眠くはなりたくない」と言ったので、
白い服の人はトレドミン25をメインにだして、
安定剤はどんどん効果の少ないものになっていった。
薬はどんどん増え、きつくなって行く。
「効いてないんです。外に出られない。もっと、もっと薬を」
だがもうあたしに出されていた薬は全てリミット量らしく、
あたしはこれ以上は楽になれないのかと、その申告にひどく失望した。
簡単に言うとアップ系、
意欲は高まるがイライラもしてしまう薬を多用していたので、
この頃のあたしは酷く気が荒く、喧嘩っ早かったのを覚えてる。
何度か通ったある日、白い服を着た人は言った。
「薬が結果を出していない。きっかけの様なものが、必要ですね」
あたしは葛藤していた。
外にでなきゃいけない、社会通念として、出なければいけない。
そして何より自分のために、
「忘れたい。外に出て忙しく働いて全て忘れたい」
という強迫観念があった。
でも実際には出られない。怖くて怖くて外では息ができない。
無理やり電車に乗ってみたら数駅目で吐いてしまった。
おまけに一人で病院にも行けない。
社会常識から判断し、酷く自分を卑下していたあたしには、
この頃の葛藤は、とても辛かった。
そして何よりつらかったのが、夢を見ることだった。
赤ちゃんが叫ぶのだ。
なんて叫んでいるのかは覚えていないのだけれど、
起きたら泣いていた。
そんな日が続く。
あたしは、日に日に狂っていった。
そしてある時から突然、昼間パニックを起こす様になった。
「生きたい!死にたくない!!行きたい生きたい生きたい死にたくない!!!」
と叫んで物を投げ散らかすのだ。
4年位前、ごく一般的なうつで悩んでいた時は、
自分の存在を消したくて、
布団の中で消えてしまえればいいのにと思っていたけれど、
こんなタイプのパニックは初めてで、自分でも混乱した。
あたしはおそらく、生きたかったんだろう。
そしてそれを大声で叫ばなければいけないほど、
あたしは死にそうになっていたのだろう。
赤ちゃんができたといわれた時、優しくおなかをさすった。
赤ちゃんが今死のうとしているその時、あたしは激痛の中で、
赤ちゃんと自分を同一視していた。
「痛いのかな、痛いのかな。少しでも、少しでもこの子が、
少しでも苦しまずに、あの世にいけますように。」
激痛の中そう祈り、泣きながら、
情けないあたしは言葉を発したのを覚えてる。
そして、あの子は逝ってしまった。
あたしも、一緒に逝って欲しかったかな。
一緒に逝ってあげたほうがいいのかな。
逝ったら喜んでくれるのかな。
でも
死にたくないよ まだ 死にたくない
勝手だけれどあたしはまだ 死にたくない。
あたしの中で、狂気と正気がぶつかり合う。
やがて正気は狂気で、狂気は正気になり、
ぐるぐるとしたあたしは、引き込まれる様に日々死にそうになる。
死にたくない
死んでしまいそう
死にたくない!!
死んでしまいそう
死にたくない!!!!
そしてあたしはある日、とうとうODをしてしまった。
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