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“Day by day, in every way, I’m getting better and better.” 「日々に、あらゆる面で、 私は益々よくなってゆく」 クーエの有名な暗示文です。
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福知山線事故で、なくなった男性と同棲していた女性が亡くなりましたね。

そのニュースを読んで昔のことを思い出しました。

あたしも同棲してもう6年だか7年だかになるのだけど、

同じように同棲している友達が居た。

彼女は彼氏とよく喧嘩をしていて、またその内容がしょーもない。

冷蔵庫のジュースを勝手に飲んだとかどうだとか。

よく愚痴を聞きながら笑ってしまって、怒られてしまった。

だが彼女は彼氏を本当に愛していて、大切にしていた。

彼女と彼は同棲4年程度で、もうそろそろ結婚か、と言われていたのを覚えてる。

そんなある日、彼は急に家に戻ってこなくなった。

心配した彼女は友達に電話して回るのだけれど、誰も知らないという。

近くでタバコでも吸っているのかと公園やらを走り回るが見つからなかったらしい。

結局彼は朝まで帰ってこなかった。

彼女は一晩中待ったそうだけど、泣きながらあたしに電話をしてきた。

「あたし、何かしたのかなぁ。あたし、何か・・」

これにはあたしも怒った。

いくらなんでも一晩連絡無しなんてやりすぎだ。

だが事実は違った。

その日、彼は仕事帰り、車で事故をした。

ほとんど即死に近かったらしく、病院に運ばれた頃には心停止していたそうだ。

だが必死で蘇生措置がとられ続けた。

免許証から実家に連絡が入り、家族がかけつけた。

生きて、生きてと家族が願う中、、完全に死亡が確認されたのは午前4時。

彼女が必死で探し回っていた時間だ。

結局、彼女が彼の死を知ったのは、彼の死の二日後の事だった。

たまたま彼の家に荷物をとりにきた彼の姉から事情を聞いたらしい。

そばにいてあげたかったと、

手をにぎりたかったと、

暖かい手を触りたかったと、

彼女は色んなことを叫んで泣いたらしい。


同棲なんて、そんなもんだ。

あたし達は繋がっているようで、毎日一緒に居るようで、

とても遠い所にいる。

だから毎朝送るときには、きちんとおはようといってらっしゃいを言ってあげたいし、

帰ってきたら今日も無事に幸せに抱き合える事を感謝すべきだ。

もし明日大切な人が死んだらって、考えて生きるのは変な気もするけれど、

意外と大切な事だと思ってる。

そばで眠る大切な人が、明日起きたら、

とびっきりの笑顔でおはようって言ってあげよう。




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高校生だったある日、とても雲と空のきれいな良い日だった。

ひげもじゃの地理の先生が、
いきなり古ぼけたダサい目覚まし時計を大事そうに抱えてやってきた。

そして、
「とりあえずおまえら、これを聞け」
と言って勝手に時計を鳴らし始めた。

それは昔流行った、声が録音できるタイプのもので、
声で起こしてあげられるプレゼント、というとても恥ずかしいものだ。
おまけに軽く10年は経過しているのではないかという音質だし、
デザインもダサく、ひどく古ぼけて見えた。


しかも何より中身がひどかった。

「○○(先生の下の名前らしい)くん♪○○くん♪朝でちゅよ~♪
 おきて♪おきて♪おきて~♪」

新婚でなければできない恥ずかしい言葉の羅列。
声の主は女性で、とてもかわいらしい声だったが、
自分でも少し照れているらしく、聞いていてもわかった。

それを聞いて教室はドッと盛り上がる。

「ダセー!」「恥ずかしー!!」
様々な罵声が飛び交う。

盛り上がる教室内で、ひげもじゃ先生は苦笑いをしながら言う。

「まあそういうなよ。
 これはうちの嫁が結婚した当初にくれたものなんだ」

盛り上がる教室をそのままに、先生は続けた。

「そして、結婚して二年目に死んだ俺の嫁の、唯一の肉声だ」

教室は水を打った様に静まりかえった。

彼の奥さんは、結婚して二年でなくなったらしい。

誰もそんな事を知らなかったので、罵声を浴びせてしまった生徒達は、

非常に罰が悪そうだったし、すでに泣き出していた女子も居た。


「普段は家から持ち出さないんだ。本当に大切にしていて」

大事そうにさすりながら続ける。

「今も毎日、これで起きてる。」

しばらく教室が静まり返った頃、ある生徒がおずおずと聞いた。

「でも、あの、・・・それ・・辛くないですか・・?」

先生は優しい笑顔で答えた。


「辛いかもな。いや、当時は聞くのも辛かったんだ。でも・・

 毎朝、彼女を感じられるのは、今も昔も、とても幸せなんだ」
 と言って笑った。

 生徒達は何も言えず黙って先生を、古ぼけた時計を見つめていた。

「さっきも言ったように」

 いきなり毅然とした目で先生が語りだす。
「普段は持ち出さないんだ。だから今日これを持ってきたのは理由がある。」

 私達は黙って聞いた。

「私は当時貧乏で、彼女にろくに何もしてやれなかった。だが、彼女を愛していた。」
 
 先生は、苦笑いをして続ける。

「だがよく、彼女の話を聞いていないといって、怒られたものだった。

 亡くなる前日も、そんな事で喧嘩した覚えがある。

 そして、後になって気づくんだよ。
 
 大切な人との別れはいつも突然で、

 誰も教えてくれないって、そんな当たり前の事。」

 先生は優しい顔をしていった。

「だから、おまえらも、些細な事を、大切にしろ。

 大切な人が急に居なくなった時、
 
 そしてもう二度と会えなくなった時、
 
 そういう些細な事が、一番後悔するんだ」




あれからもう8年も経つ。

身近な人間が死んだことのなかったあたしにも、

とうとう父との別れが近づく。

あたしは先生の言葉をできる限り守りたいと今も思っていて、

最期の旅行を計画したり、振袖を着て見せてあげたりと、

父が喜ぶであろう些細な事を大切にしているつもりだけれど、

やっぱり何をしても、結局後悔はするんだろうな、とは思う。


ただ、小さな事をしてあげられなかった後悔だけは、なるべく少なくしたい。

そう思って、あたしは今日も生きています。先生。

ショパン。

ピアノの天才。あまりに有名ですね。

ピアノ引きなら一度は引きたいと思うでしょうし、

ショパン国際コンクールは、
ピアノ界でもっとも権威のあるものと言っても過言ではないはずです。


お好きですか?ショパン。

私は大好きです。

だがご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、

彼の音楽は当時あまりに先進的過ぎて評価を受けず、

貧乏に貧乏をした上、非業の死を遂げたとされています。

一般的なイメージとはかなり違いますよね。


彼はポーランドの生まれで、幼い頃からピアノの天才だった。

事実彼が子供の頃書いた曲が、

今クラッシックの名曲の一つにもなっているぐらいだ。


天才児を持った父親は、幼いショパンをヨーロッパ諸国連れまわし、
貴族やお金持ち達に聞かせては、

「天才だ!」と言わしめさせて回る。

その頃女王とも謁見している。女王も幼く、転んだショパンを助け起こしてあげたといううわさがある。

彼女との出会いは青年になってからもう一度起こるのだけれど、不運にも会える事なくすれ違ってしまった。


若者になったショパンはひとりで暮らし始める。

が音楽が先進的過ぎて受け入れられず、
随分貧乏な暮らしをしたと聞いている。
また、生涯を通して肺結核に悩まされ、随分苦しんだようだ。

もし女王と、若き青年のショパンが出会っていれば。
子供の頃お会いしましたね、と話すことができれば。
音楽好きだった彼女がパトロンとなってくれたかもしれないし、
ショパンはもっと長生きをし、もっともっとすばらしい楽曲を
たくさん残したのかもしれない。
女王も音楽から人への優しさを知り、歴史自体変わったのかもしれない。

全ては残念ながら、妄想なのだけど。


ワルシャワ革命の失敗も彼を悲しませた。

だが彼には愛する人が居た。彼は美男子だったので、
幾多もの浮世を流すのだけど、

その内特筆すべきは貴族出身のマリアと、
その後付き合う事となる、ジョルジュ・サンドだ。

彼女達の為に楽曲を何曲も作り、それらは全てすばらしい出来だ。

彼は彼女達を愛していた。彼女達も彼を愛した。

だが結局マリアに求婚をするも伯爵家から正式に婚約を破談にされる。

私は「別れのワルツ」はこの頃の出来事から後々命名されたのではないかと思っているのだけれど。

のち、ジョルジュ・サンドと愛を語らう。
9年にも及ぶその愛は幾多の名曲を生んだ。
だが36歳の頃、肺結核での入院と同時期に、別れは訪れる。

そして39歳の頃、彼はパリで寂しい死を遂げるのだ。



彼は幸せだったのでしょうか?

寂しい死に方をしたから、不幸せだと思いますか?

「しあわせの定義」にも書いたのですけれど、

あたしはそうは思わないのです。

何故なら彼は幾多の愛を知ったし、
彼の死を知って心から悲しんだ人が居るでしょう。

何よりもすばらしい名曲を残し、今も心から愛されている。

没後157年も経っているのに、

「ショパンが大好きです!」と心から言う人達が居る。



彼は、幸せなのだと思いませんか?


昔。あたしが小学生の頃。

社会の先生が唐突に言った。

「人の人生は、どうなれば幸せなのだと思う?」

ある女の子は答える。

『お金持ちになること?』

今度はおどけた男の子が答える。
『きれいな奥さんもらう事!』

教室にドッと笑いが起こり、それが静まった頃、

社会の先生は続けた。

「そうだね。それも幸せ。でも、違う。」

不思議そうに見入る子供達に先生は続けた。

「人が幸せであったかどうかは、
 その人が死ぬ時に何人周りに集まるかだ。」

「人脈こそが、幸せだ。」とも言った。

すると、今まで黙っていた一人の女の子が異を唱えた。

「じゃあ、何人集まったかでその人の幸せが決まるの?」

先生は答えた。

「そう。何人集まってくれるかで決まる。」

女の子は反論した。

「それは違う。それは、違う。
 いっぱい居ても、だめ。
 ほんとの心がなきゃ、だめ。

 だから、人数じゃない。ほんとのこころだよ。

 心から泣いてくれる人が一人でも居れば、

 その人は幸せなんだと思う。」

先生はまさか10才の子に反論されるとは思っていなかったらしく、
面食らっていたけれど、適当な言葉を2、3吐いた後、
「授業に戻ろう」と言って急に逃げてしまった。


あれから14年経つ。10歳の小さな女の子だったあたしは24歳になった。

24歳になったあたしも、やっぱりその考えは変わってなくて、

人の幸せなんて、結局悲しんでくれる人の気持ちが、
本気であれば十分だと思ってる。

今あたしが死んだら、本気で泣いてくれる人の顔は浮かぶけれど、
両手で足りてしまう。
集まる人数も、多分それとあんまり変わらないんだと思う。

社会の先生が言う論理でいうなら、
あたしは「不幸せだ」と言う事になるけれど、
あたしは多分、幸せな顔して死んでると思う。

事実、あたしは今幸せだと感じていて、
また、本気であたしを思ってくれる人を、
両手いっぱい分しかないけど、幸運にも手に入れたから。


「人数じゃないよ、ほんとのこころだよ。」


小さい頃のあたしの声が聞こえた気がした。



恐ろしく綺麗な月が出ていた。

月しか見えなかった。

黒猫があたしを見下ろして、にゃぉんと鳴いた。




子供の頃、冗談の様な田舎に住んでいた。

今考えればよく遊ばせたものだと不思議に思う程、

危険な場所にあふれた所だった。

大人たちはもちろん近寄るな、とは言うのだけれど、

柵を立てるわけでも見張るわけでもないので、

勇敢な勇者でもあり、無謀なピエロでもある子供達は結局遊んでしまう。


そんな子供達も、自ら危険を察知し、

近寄らない場所があった。

野性的で、本能的な怯え。

ケモノとして、とても怖かった。

そんなひとつが、「地下室跡」と呼ばれていた場所だ。


今にも倒壊しそうな木造建築の空き家が立ち並ぶ一角の外れに、

それはある。

あったというべきか。

上にあったのだろう家はすでになく、

あるのは、小さめの家程度の大きさの、四角い巨大な穴。


木造建築が立ち並ぶ田舎では珍しく、またそれらよりも古いだろうに、

なぜか、コンクリで綺麗に舗装されていた。

巨大な穴の深さは2メートル半。真ん中には一辺50cm程の、巨大な墓標のような、古く、薄汚れたコンクリ柱が建っていた。

土と、草のにおい、木造建築の並ぶそこで、無機質なそれは、

非常に奇妙で、不気味だった。

といっても2m半程の高さ。落ちても死なない。

大人が居れば上れるし、子供達でも数人居ればなんとかなる。

だが動物達にとって、その高さは生死を分けてしまった。

そこではよくいろんな動物が死んでいた。

無機質な薄汚れたコンクリの壁は動物達の爪を無力化し、

巨大な棺桶のような穴の中では声も響かない。

逃げる事も、誰にも会う事もなく、そこに落ちたものには、

ただただ平等に緩慢な死が与えられた。

不思議だったのは、その死体が、気がつくと綺麗になくなっている事だった。

保健所が来ていたのかもしれないし、近所の大人が片付けたのかもしれない。

白骨化するまではそこに居るのだけれど。

だがあまりにあたしは小さく、無知で、ただ不思議だった。


ある日早起きをしたあたしは、いつもとは違う道を通って小学校へと向かった。

ふと怖いものみたさの様な気持ちで、「地下室跡」を覗きに行ったのだ。

白い小さな、生まれて間もないであろう子猫が死んでいた。

あばら骨が透けて見える程やせ細り、恐ろしく緩慢な死であった事を思わせた。

助けを求め、泣いたのだろう。

朝も夜も、親猫を呼んで、呼んで、ただただ泣き続けただろう。

もしかすると、親猫が聞きつけてやってきたかもしれない。

だが愛する子猫は深い穴の中。

近くに居るのに、においはするのに、声はするのに

触れられず、助けることもできず。

子猫はだんだん声も出なくなり、目も見えなくなり、ゆっくりと、ゆっくりと、一人ぼっちで。


どれだけ寂しかっただろう。

どれだけ悲しかったのだろう。

胸がつまり、息ができなくなって、あたしは逃げ出した。


数日後、友達とかくれんぼをしていた。

地下室跡の近くだったので、気は進まなかったのだけれど、何かが漠然と怖い、と言う勇気もなかった。

その日、何かと負け続けていたあたしは、ムキになって隠れていた。

ふと気がつくと「地下室跡」の近くまで来てしまっていた。

ここにだけは隠れられないな、と思った瞬間、あたしの大切な、パンダ柄のボールが転がってしまった。

お気に入りの赤いボール。

そして必死で追いかけた拍子に、あたしは落ちてしまったのだ。

地下室跡に。


びっくりしすぎて声も出せなかった。

そこは、本当に別世界だった。

上から覗き込んで、見えていた白い子猫はほんの一部だった。

コンクリの柱の奥。上からは見えない位置に。

そこにははるかに多くの死体があった。

声を出すと、彼らが起きるのではないかと、奇妙な不安に襲われた。

跳ね上がる鼓動が落ち着くまで立ち上がる事もできず、

ただただ目の前の別世界を、いまや巨大な塀と化した「地下室跡」の壁を、

目を見開いて漠然と見つめていた。

おそらく上から見える位置で死んでいた動物達は、白骨化した後、消えた訳でもなんでもなく。

最終的に誰かの手によって、奥へ奥へと追いやられていただけなのだろう。

おそらく棒か何かで、無粋に。


その時唐突に、チャイムが鳴り響いた。

5時だ。

あたしはあわてて声を張り上げた。

チャイムの轟音で、張り詰めた空気に、やっと隙ができた。

どれくらい叫んだだろう。

だけれど誰も来てくれない。声もしない。

そしてふと気づいてしまった。

5時になれば、「かくれんぼ」をしている場合、みんな自主解散してしまうのだ。

あたしがここに居る事など誰も知る由もなく、帰ってしまう。

気づいた時には、日は落ちていた。


恐ろしくて、寂しくて、ただ不安だった。

どれくらいの時間が経ったのだろう。

3時間位経ってるのかもしれないし、30分位しか経ってないのかもしれない。

四角く切り取られた空と、綺麗な、そら恐ろしく綺麗なお月様の下。

薄汚れたコンクリの壁と、死体と、あたし。

あたりはもうとうに真っ暗だったのだけど、怖がりなあたしは意外にも泣いてはいなかった。

むしろ、物音ひとつ立ててはいなかったのだ。

ただただ隅っこに座り込んで、震えていた。

声を出せば、暗闇で青白く光る彼らが起きてしまいそうで。

怖くて怖くて、寂しくて悲しくて、震えていた。


さらに、どれぐらいの時間が経ったのだろう。

綺麗な月が、あたしを煌々と照らす。

奥の方の暗闇と青白く光る彼らのコントラストが増し、恐ろしさは増幅していた。

発狂しそうだった。


その時だった。

ふと真上でがさがさと物音がした。

跳ねるように飛び起きた。やった!!人だ!たすかった!

あわてて叫ぶ。

「たすけて!おちちゃったの!たすけて!」

返事は返ってこなかった。

変わりに、歓喜と絶望の入り混じった表情で見上げるあたしを、

黒猫が覗き込んでいた。




月が出ていた。

恐ろしく綺麗な、青白い月と、猫。

黒猫はあたしを見下ろした。

あたしが白い子猫を見下ろした様な目で、静かに、何も言わず、

ただあたしを見下ろしていた。

随分長い間、ただあたしを、緑色のビー球みたいな綺麗な目で、

静かに見下ろしていた。

あたしは動けず、声も出せず、ただ、怖くて怖くて、目が離せなかった。

四角い空と、綺麗なお月様と、黒猫の下。

薄汚れたコンクリの塀と、青白く光る白骨死体と、あたし。


ずっと一人ぼっちで不安だったあたしは、黒猫に思わず声をかけてしまった。

「こんばんは」

我ながら穴に落ちた人間の第一声ではないなぁと思いながら続けた。


「こんばんは・・?」


黒猫は、何も言わず、じっと見ていた。

それは気の遠くなる時間、あたしをじっと見ていた。

久しぶりに生きているものを見て少し元気になったはずのあたしに、

直感で寒いものが走った。

慌てて目をそらした時、

真横に横たわる白い子猫の遺体が目に入り、

冷たい薄汚れたコンクリの壁を見ながら、この子も息絶えたのだろうかと、

この仔はこうやって最後の時を迎えたのだと、本当に唐突に、考えていた。


恐ろしく綺麗な月が出ていた。

月しか見えなかった。

黒猫があたしを見下ろして、はじめて、にゃぉんと鳴いた。  
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