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“Day by day, in every way, I’m getting better and better.” 「日々に、あらゆる面で、 私は益々よくなってゆく」 クーエの有名な暗示文です。
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20歳を越えた頃、そう、ちょうど子宮が潰れているよと言われた頃。
あたしは奔走していた。

あたしの彼は転勤族で、最短2週間で引っ越したことさえある。
約7年間で8回の引越しをしている。

友達ができる時間も無かったし、旧友を簡単に呼べるほど近くもなかった。

彼は激務で朝の7時から夜の12時前まで帰ってこない。

ひとりぼっちのあたしは、窓から見える四角い空を見てはぼんやりする事が多くなっていった。
 
日増しに自分で自分を保てなくなっていたあたしは回りに当り散らし、
家から徐々に出られなくなっていった。

四角い空を毎日見上げ、通り過ぎる人を見ては

「あたしは あたしはここに居るのに!誰か!誰か気づいて!」と泣いた。

自分自身の存在価値を見出せなかったし、箱庭の中では毎日空は四角かった。

とうとう手がつけられなくなったあたしは、自分の意思で精神科に行った。
薬物治療を始める。
別カテゴリーで参考になるかどうかはわからないが書くつもりだが、
ここは最悪だった。
見た目はきれいなんだけれど、医者の対応が本当に馬鹿にしていた。
おまけに診療もせず薬を出す医者だ(笑)
もちろん違法。
だが他の良い医者の知識が無かったあたしはそこに通うことになる。

その医者に会うのが嫌で嫌で仕方なかったあたしは、
毎日飲む薬の量をなるべく少なくして、
なるべく行かないようにしていたが限界があり、二ヶ月に一度嫌な思いをしていた。
あたしは奔走していた。薬物治療に限界を感じていたからだ。

そしてあたしはある日唐突に気が付いたのだ。

究極、人間を救うのは宗教なのだ、と。

宗教はしきりに勧誘をする。

だが宗教が人を求めるのではない。人が宗教を求めるのだ。

迷い、悩み、苦しみ、苦悶する。

そこに「それでいいのですよ」と誰かが言ってくれる。

是ほど幸せなことはない。

それが歴史に裏づけされ、体系化された宗教そのものなのだと唐突に気づいたのだ。

随分遠回りをしたものだ。結局答えは近くにあったのに。

そこからあたしは宗教関連の本を読み漁る。
なぜイエスは隣人を愛すのか。なぜアッラーの神に祈るのか。
生まれ変わりとは何か。業とは何か。

基本的な所からはじめ、宗教書を読み漁る。

が、どれもしっくりとはこなかった。

矛盾を感じるし、どの言葉に背中を押されても幸せになれる気がしなかった。

これは本当に、非常に残念だった。

だからあたしはその頃から公言している。

「究極、人を救うのは宗教だ。」

大抵の日本人はいぶかしげな顔をする。
何より儀式として必要だから仏教を利用しているような一般的な日本人には、
宗教観で戦争が起こる事自体ナンセンスだ。
だからその反応は至極正しい。

だがあたしは続ける。
「だからあたしは、これからずっと、あたしにぴったりとくる宗教を探していく」


















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