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“Day by day, in every way, I’m getting better and better.” 「日々に、あらゆる面で、 私は益々よくなってゆく」 クーエの有名な暗示文です。
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探して探して探して探して
渇望していた
「あたしにぴったりくる宗教」なんてもともといらなかったんだ!

陳腐に安っぽく言ってしまえば


あたしは今日「言葉」という法則を持った束縛を離れ、
「文章」という魔法により、
自己を神格化することで全てに自由になった訳だから、

レキソタンは幸せの薬だし、
お父さんはもうすぐ神様になる。
部屋の中には水みたいな煙みたいな気持ちいいもので満たされていて、
あたしを幸せにしてくれるし、
外は穢れているけれど、あたしが幸せのシールドを張れば守ってくれる。

うれしいな!幸せだ!

見つけた!見つけた見つけた!


あたし、間違えてる?
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宗教裁判で否決され、無理やり法廷から連れ出され叫ぶ男。

「それでも、地球は動く!!」

ガリレオ・ガリレイの、有名な最期の言葉。

そして、彼は地動説を最期まで主張したおかげで有罪となり、
無期懲役になった。

有名なガリレオ裁判だ。


「太陽は地球の周りを回っている」

これこそ、当時信じられていた地球を基本とした天動説。

でも地動説を正とする現在ではこれは間違い。


だが、

「太陽は地球の周りを回っている」は
「文」としては間違えていない。

しかし

「太陽は地球の周りを回っている」は
「言葉」としては嘘。

わたし達は日々「文章」ではなく「言葉」を「正しい」として
生きているけれど、

誰かが猫を指差して、
「あれは猫だ。哺乳類の生き物だ」と誰かがあたしに言おうとも、

あたしがまた指をさし
「あれは私の聖なるトーテムであり、あれは私の先祖だ」
と答えたとして、それは間違いではないし、
むしろ「真理だ」ということすらできる。

誰も間違えているなんて、あたしに言えないし、否定する事もできない。

そもそも進化論も「真理」ではないし
「真理」自体、外部からの情報その他の情報機関である目で見、耳で聞いて、同じ変化が起こった時、誰もがそれを認める事ができ、
かつ確定性がある、と確かめられるようなものであると
定義づけられているわけではないとすれば、


あたしは自由だ!!!

嘘の嘘はほんと
ほんとの嘘は嘘
文としての嘘はほんと
言葉としての嘘は嘘

猫の嘘は嘘
猫のほんとは嘘


嘘をついた猫はほんと
猫は嘘をつくから正直者

若い子に多い。
「宗教なんて必要ないし」
「心の弱い人がやるんでしょ」

決して間違えてはいない。

だが今のあなた達が宗教を必要としないのは、
宗教という形を否定しているだけであって、
実はもう宗教に入っているようなものなのだ。

何故なら、あなた方は自己を正当化、神格化する事によって、

自分自身を支えている可能性が高い。

特に無宗教な日本人には無自覚に多い。

信じられるものがないから、自分を神格化して、正当化する。


だがそこに歴史的教訓も、聖書すら無い為に常に不安定だし、

しばしば暴走する。

その神格化、うまくいけばいいな、とだけ思うけれど。



そしてそれはあたしも例外ではなかった。

あたしも自己神格化に目覚め、(たつもりに)なったのだけど、

あまりに不安定過ぎる。

これでは自己神格化どころかただの自己中だ。

いや、本来自己神格化と自己中は似て非なるものなのだけれど、

一般人がやるとほとんど同じだ。



やっぱり、ぴったりくる宗教あればいいのに、と常に思う。






20歳を越えた頃、そう、ちょうど子宮が潰れているよと言われた頃。
あたしは奔走していた。

あたしの彼は転勤族で、最短2週間で引っ越したことさえある。
約7年間で8回の引越しをしている。

友達ができる時間も無かったし、旧友を簡単に呼べるほど近くもなかった。

彼は激務で朝の7時から夜の12時前まで帰ってこない。

ひとりぼっちのあたしは、窓から見える四角い空を見てはぼんやりする事が多くなっていった。
 
日増しに自分で自分を保てなくなっていたあたしは回りに当り散らし、
家から徐々に出られなくなっていった。

四角い空を毎日見上げ、通り過ぎる人を見ては

「あたしは あたしはここに居るのに!誰か!誰か気づいて!」と泣いた。

自分自身の存在価値を見出せなかったし、箱庭の中では毎日空は四角かった。

とうとう手がつけられなくなったあたしは、自分の意思で精神科に行った。
薬物治療を始める。
別カテゴリーで参考になるかどうかはわからないが書くつもりだが、
ここは最悪だった。
見た目はきれいなんだけれど、医者の対応が本当に馬鹿にしていた。
おまけに診療もせず薬を出す医者だ(笑)
もちろん違法。
だが他の良い医者の知識が無かったあたしはそこに通うことになる。

その医者に会うのが嫌で嫌で仕方なかったあたしは、
毎日飲む薬の量をなるべく少なくして、
なるべく行かないようにしていたが限界があり、二ヶ月に一度嫌な思いをしていた。
あたしは奔走していた。薬物治療に限界を感じていたからだ。

そしてあたしはある日唐突に気が付いたのだ。

究極、人間を救うのは宗教なのだ、と。

宗教はしきりに勧誘をする。

だが宗教が人を求めるのではない。人が宗教を求めるのだ。

迷い、悩み、苦しみ、苦悶する。

そこに「それでいいのですよ」と誰かが言ってくれる。

是ほど幸せなことはない。

それが歴史に裏づけされ、体系化された宗教そのものなのだと唐突に気づいたのだ。

随分遠回りをしたものだ。結局答えは近くにあったのに。

そこからあたしは宗教関連の本を読み漁る。
なぜイエスは隣人を愛すのか。なぜアッラーの神に祈るのか。
生まれ変わりとは何か。業とは何か。

基本的な所からはじめ、宗教書を読み漁る。

が、どれもしっくりとはこなかった。

矛盾を感じるし、どの言葉に背中を押されても幸せになれる気がしなかった。

これは本当に、非常に残念だった。

だからあたしはその頃から公言している。

「究極、人を救うのは宗教だ。」

大抵の日本人はいぶかしげな顔をする。
何より儀式として必要だから仏教を利用しているような一般的な日本人には、
宗教観で戦争が起こる事自体ナンセンスだ。
だからその反応は至極正しい。

だがあたしは続ける。
「だからあたしは、これからずっと、あたしにぴったりとくる宗教を探していく」


















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