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“Day by day, in every way, I’m getting better and better.” 「日々に、あらゆる面で、 私は益々よくなってゆく」 クーエの有名な暗示文です。
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私は母とどう接していいかわからない。

こんな事をこうやって言葉にする事でさえ背徳感で指が震える程私は調教されきっているのだけれど、私は母とどう接していいかわからない。

彼女は強い。そしてとても美しいと思う。
恐らくとても優しい人なのだとも思うし、聡明だと思わないことも無い。
だけれど強くて美しくて優しくて聡明だ、とは言う気になれない。
それぞれの特徴は間違えては居ないけれど、何か違う気がする。

彼女は私が物心つくずっと前から家を出るその日まで働いていた。
食事もまともに作ってもらった覚えはないし、家族そろってご飯も食べない。毎日冷たく、油が染み込んだ寂しい味がするスーパーのお惣菜を黙って食べるのが当たり前になっていった。
洗濯物もたたまれていた事は無いし、山のようになった洗濯物から各自が捜索するというシステムで、家もほとんど掃除されていなかった。
休日に家族ででかけた事も片手で足りるし、お盆もお正月も母はそばに居なかった。彼女に遊んでもらった覚えはなくて、私の記憶の彼女は横顔で、私を見ることはなく、忙しい、忙しいといって父の悪口を言った。

全ては仕方の無いことだと家族全員が口をそろえてお経のように言うので私もそんな気がしているけれど、本当はどう思っていたのかもう思い出せない。

とにかく彼女はとても忙しくとてもよく働いた。
おかげで私は毎日ピアノの発表会へ行くかのようなフリルだらけの服を着せてもらったし、父も母は私を可愛がったらしいし、二番目の兄はとても頼りがいがあり優しい人で、家も立派だったので私はとてもしあわせだったのだ、と家族全員が口をそろえて言うので私もそんな気がしているけれど、本当はどう思っていたのかもう思い出せない。

母はとにかく比べた。
そして満足しなかった。
ただただ、「もっと、もっと」と言った。

○○ちゃんはこんなこともできるのよ、あなたはどうしてできないの?
○○ちゃんは、○○ちゃんは、○○ちゃんは、○○ちゃんは、

子供にとって母親は神様に等しい。
母親の愛情を一身に受ける為なら何だってしてしまう。

私は素直に従った。もっと、もっと、もっと。
いくらやっても彼女は褒めなかった。
次はもっとがんばりなさい。いつも彼女はそういった。

やがて私は諦めを知る。
これだけやってもだめならば、私はだめなのだろう。私はなんて駄目な人間なんだ。私は愛されないかもしれない。
毎日そう感じた。私の最初の挫折だった。
人間に限らず脳味噌のある生き物は「諦め」を知っているらしい。
でなければ生きていけないからだ。
かわいそうな犬の話を聴いた事がある。
諦め、というシステムを調べるために、鉄の檻に入れられた犬の話だ。
犬は不定期に電撃で襲われる。
最初犬はその電撃から逃れようと必死で逃げ回り、鼻をつきだし、吼え、最大限の努力をする。
だがやがて逃げ道がどうやってもない事、電撃は自分の意思では止められない事を知るといくら電撃を与えてもピクリとも動かなくなるそうだ。
死んだわけではない。諦めたのだ。

通常の反応を示した私に、彼女は戸惑いながらこう言った。
「あなたはやればできる子なんだから、がんばりなさい」
思えばあれが私の初めて目にする彼女の妥協だった。

とにかく彼女はお経の様に同じ言葉を、同じ表現で、同じイントネーションで、同じ顔で、同じ声で言うのだった。

お母さんは苦労ばっかりしてきて、あんたには心配ばっかりかけられたわ、お母さんばっかりしんどくて、お母さんしにそうやわ、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、

カウンセラーに母親について尋ねられた。

私は答えた。「私が心配ばっかりかけたので申し訳ないのです」
カウンセラーは言った。「心配ばっかりって、あなたが高校生なのに家から出たのにも、それだけの事をしなければいけない理由があったわけでしょう?」
私は言った。「でも、私、迷惑ばっかりかけて・・」
カウンセラーは続けた。「迷惑ばっかりって、あなただって迷惑いっぱいかけられてるじゃない」
私は当惑した。そんな考え方を始めて知ったからだった。
そんな事、考えたことも無かった、と小さな声で、誰に言うでもなく呟いた。

不思議なものでお経の様に唱えられると全て自分がそう感じそう判断したかのように認識される事を知り、私は益々混乱した。

私の口から出る家族像や抱いている表面的な感情はそのほとんどが彼女の表現のままだった事に気づいたときはぞっとした。

私は完璧に母を受け入れていたのだ。
そして同時に強烈に反発していた。

家に居る時、時計の音がやけに響いて、妙な気分になった事がある。
ぬるま湯の様な、心地よい様であり同時に不快な空気がまとわりつくようにゆっくりと流れ、私はただ強烈な焦燥感に襲われた。
「ここに居るとだめになってしまう」

私のバイト先にまできて、へらへらと私のキャッシュカードを持っていく父にも、家族が苦しいのだから当然だと飛んだ目で叫ぶ母親も、テレビすらなくなった家も、それだけ働いてどうしてそんな安い服を着るのと無邪気に言う私の友達も、全てが大嫌いだった。

親族にお金を借りて回り、貸してくれなくなった所には「娘のコートを買いたい」と、嘘で、しかも強烈に情けない懇願をして借りたと親族から聞いた時は、心の底から怒りに震えた。
だが当惑する。「自分を育ててくれた母親を嫌い等と口が裂けても言ってはいけない」と誰かが頭の中で軍隊の将校の様に叫ぶからだ。

ある人は言った。
「そんな事はない。家族だから、生んだから、育てたからという理由で無条件に好きになる必要はないし、そもそも不自然だ」
でも、でも、と私は言葉にならない否定をした。将校が怒鳴っていた。
だがその人は、ちょっとコンビニに、とでも言う様な気軽な顔で、
「俺は家族とか、嫌いだから」と言った。
政治犯を見た気分だった。この人は張り付けにされて火あぶりにでもされるのではないのだろうかと心配になった。
将校は口をぱくぱくさせていた。


私は母とどう接していいかわからない。
でも、ある人を見ているとそれでいいのだという気分になった。

私の母は強い。そしてとても美しいと思う。
恐らくとても優しい人なのだとも思うし、聡明だと思わないことも無い。
だけれど強くて美しくて優しくて聡明だ、とは言う気になれない。
そして、大嫌いでもある。



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あたしはとても忘れっぽい。
忘れっぽくなってしまった、というより、全ての出来事に現実感がなく、昨日あった事なのか、それとも一週間前だったのか、数ヶ月前だったのか、それともそんな事自体元々存在しなくて、夢だったのか、それすら定かではなかった。人と会った記憶なんかはうっすらと、本当にうっすらと霧か何かの様に残るのだけれど、記憶の中の映像ではあたしは焦点が定まっていなくて、人事の様に自分を見ていて、本当にその場に居たのか、それすら定かではなかった。


あたしはかつて、あたしの頭の中の全てを盗聴されていると仮定して生きていた時期があった。
それはとても小さな子供の頃で、具体的に何歳だとか、何年生だとか、そういったことはもう覚えていないのだけれど、少なくとも、誰が見ても小さな子供だった。

あたしの頭の中での考えは全て何かの電波みたいに垂れ流されていて、誰か固定の人間というよりは、恐ろしく巨大で、寒気がするほど存在感を消せる団体に聴かれていると感じていて、そう感じている事を親にも兄弟にも言えなかった。
連中に悟られてはいけないと警戒していたのだ。

ただあたしは毎日、自分の中で、
「今現在、これを考えているあたしが居て、それを見ているあたしが居て、またそれを見ている私が居て」といった具合に、連中を惑わせる為に始めた意識の分断が、やがてミルフィーユの様に多層化していった。

それは全てが単調に動く簡単なコンピューターの様なもので、並列化されていたが、それぞれは別個に動いていた。
表層部分の頭の中ではあたしは子供らしく、無邪気で、わがままだった。そのひとつ内側ではそれを計算して子供らしく振舞っているあたしが居て、そのまたひとつ内側では計算している自分自身すらも結局計算で、といった具合に、蛇の抜け殻の様に連中を惑わせる為、あたしは全ての力を注いでいた。
あたしは疲弊していた。頭の中が忙しいので食事も食べるのを途中で忘れたし、人と会話していても常に多層化は進めなければいけないのでどこを見ているのか聞いているのか、何を考えているのかもわからないとよく言われたし、非常に疲れていた。
あたしが休めるのは眠りにつくか、意識が飛んだ時だけだった。

あたしは最近までそれを異常だと思った事はなくて、子供の頃なら誰でもやるひとつの遊びみたいなものだと思い込んできたのだけれど、
あたしがとても忘れっぽくなったと感じていたある日、シャワーを浴びていると奇妙な気分に襲われた。
気分が悪いとか寒いとか、怖いとか、眩暈がするだとか、そういった事とは対極にあるような感覚で、 黒い影だとか、そういった形の無いものに毎日怯えていたあたしは、それに触れて不思議と暖かいものに包まれたような、安心感を感じていた。
だがそれには甘ったるい腐敗臭の様な、堕落や怠惰や死といった臭いもしていて、ああ、これが諦めというものなのか、と感じた瞬間、とても怖くなった。
本能的にとにかくこの感覚はとてもまずいものだと思い、必死でその臭いを振り払おうとするのだけれど、あたしの頭は完全に停止していて、また高速で動いている様でもあった。
それはまるで、子供の頃の多層化の様で、あたしは頭の上から降ってくる暖かいシャワーの一粒一粒を意識できるスムーズさを感じながら、同時に体も脳味噌も鉛のように重かった。

ただ、その恐ろしく優しい諦めの臭いは強力で、そのままそれにどっぷりと浸かりたくなり、あたしはすんでの所で逃げ出した。
とにかく怖くて怖くて、あたしは自分を確認しなければと思っていて、体も拭かず部屋の中をうろうろとしていたのだけれど、ふと鏡に映った自分を見て一瞬誰なのだろうと思った。

あれは、あたしが生きてきて一番恐ろしい瞬間だった。
深い旋律を聴いていて、心地よい刺激だったものがやがて暴力的な緊張感を帯びる瞬間を感じた。
しまった、と思うのだけれど、既に取り込まれているあたしの表皮やその内側で赤くぬらぬらと光る臓物や、
もっと根本的な、形の無いぶよぶよとした塊はその旋律に酔いしれ、引っ張りあげられ、裂かれ、抱きしめられていた。
酸欠になった魚のようにぱくぱくと息をしている自分に気がつき、その境目から正気を取り戻す。
その頃には既にあたしは骨抜きになっていて、間抜けな声ですごかった、とだけ漏らしていた。
息を止められ、裂かれ、剥がれた記憶は言葉にならず、賛美の声だけが喉を通過する。
残念だ、と嘆いた。
こんなに繊細で暴力的で真空に吸い込まれるような旋律と出会えたにもかかわらず、あたしは決してまともに伝えられないし、
あたしのぶよぶよの脳味噌はいつしか慣れてしまうのだろうなと思うと居た堪れなくて、声に出さずには居られなかった。
最近、くろいものが、すぐ近くまできています。

足元まで来ていて、とても寒い。

体中に鳥肌が立って、ベッドで毛布に包まるのだけれど、

怖くて怖くて、仕方が無い。

この前医者に行った時、診察室まで彼に付き添ってもらった。
あたしが見えている幻覚や幻聴を訴えるのに対し、
彼は「まぁここ最近ほとんど薬もちゃんと飲んでないんですけどね」
といった。
昼だけ飲み忘れたり朝飲み忘れたりはあるけれど、
ちゃんと毎日飲んでるのにと思い、慌ててそれを伝える。

彼の話とあたしの話が少しずつ食い違い、あたしが修正する。
あたしと彼じゃ見え方も感じ方も違うのに、
まるであたしと同じものを感じているかのように話す彼に、
少し苛立ちすら感じた。

診察室を出際に、
「感情の起伏が激しくなってきたのは今の薬になってからだ」と彼に言われ、
処方はイソプロメンからレキソタンに戻された。
あたしは今の薬になっってからよく笑うようになったし、幸せだった。
なのにまたあの何も考えられないぼんやりした毎日に戻されるなんて!
これは酷くあたしを失望させた。

彼は勝手に処方にまで口を出したのだ。

なぜ?なぜ?と何度も聞いたけれど、待合室ではろくに話もできない。
あたしの狼狽振りを見て処方の見直しをお願いしようかとかれが尋ねてくるけれど、そんな事、薬名まで大声で言わないで欲しい、そればかり考えていた。

それに、よくよく考えれば
「おかしくなって、前の様に彼の首を絞めたりしたくない」
のが大前提なのだから、多少何も考えられなくなっても、
結局それが一番いいのだと納得した。
だから処方は変えずレキソタンを二週間分もらって帰った。

そして抑揚の無い二週間を過ごしている。

あたしは今幸せ?




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