“Day by day, in every way, I’m getting better and better.”
「日々に、あらゆる面で、
私は益々よくなってゆく」
クーエの有名な暗示文です。
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あたしはとても忘れっぽい。
忘れっぽくなってしまった、というより、全ての出来事に現実感がなく、昨日あった事なのか、それとも一週間前だったのか、数ヶ月前だったのか、それともそんな事自体元々存在しなくて、夢だったのか、それすら定かではなかった。人と会った記憶なんかはうっすらと、本当にうっすらと霧か何かの様に残るのだけれど、記憶の中の映像ではあたしは焦点が定まっていなくて、人事の様に自分を見ていて、本当にその場に居たのか、それすら定かではなかった。
あたしはかつて、あたしの頭の中の全てを盗聴されていると仮定して生きていた時期があった。
それはとても小さな子供の頃で、具体的に何歳だとか、何年生だとか、そういったことはもう覚えていないのだけれど、少なくとも、誰が見ても小さな子供だった。
あたしの頭の中での考えは全て何かの電波みたいに垂れ流されていて、誰か固定の人間というよりは、恐ろしく巨大で、寒気がするほど存在感を消せる団体に聴かれていると感じていて、そう感じている事を親にも兄弟にも言えなかった。
連中に悟られてはいけないと警戒していたのだ。
ただあたしは毎日、自分の中で、
「今現在、これを考えているあたしが居て、それを見ているあたしが居て、またそれを見ている私が居て」といった具合に、連中を惑わせる為に始めた意識の分断が、やがてミルフィーユの様に多層化していった。
それは全てが単調に動く簡単なコンピューターの様なもので、並列化されていたが、それぞれは別個に動いていた。
表層部分の頭の中ではあたしは子供らしく、無邪気で、わがままだった。そのひとつ内側ではそれを計算して子供らしく振舞っているあたしが居て、そのまたひとつ内側では計算している自分自身すらも結局計算で、といった具合に、蛇の抜け殻の様に連中を惑わせる為、あたしは全ての力を注いでいた。
あたしは疲弊していた。頭の中が忙しいので食事も食べるのを途中で忘れたし、人と会話していても常に多層化は進めなければいけないのでどこを見ているのか聞いているのか、何を考えているのかもわからないとよく言われたし、非常に疲れていた。
あたしが休めるのは眠りにつくか、意識が飛んだ時だけだった。
あたしは最近までそれを異常だと思った事はなくて、子供の頃なら誰でもやるひとつの遊びみたいなものだと思い込んできたのだけれど、
あたしがとても忘れっぽくなったと感じていたある日、シャワーを浴びていると奇妙な気分に襲われた。
気分が悪いとか寒いとか、怖いとか、眩暈がするだとか、そういった事とは対極にあるような感覚で、 黒い影だとか、そういった形の無いものに毎日怯えていたあたしは、それに触れて不思議と暖かいものに包まれたような、安心感を感じていた。
だがそれには甘ったるい腐敗臭の様な、堕落や怠惰や死といった臭いもしていて、ああ、これが諦めというものなのか、と感じた瞬間、とても怖くなった。
本能的にとにかくこの感覚はとてもまずいものだと思い、必死でその臭いを振り払おうとするのだけれど、あたしの頭は完全に停止していて、また高速で動いている様でもあった。
それはまるで、子供の頃の多層化の様で、あたしは頭の上から降ってくる暖かいシャワーの一粒一粒を意識できるスムーズさを感じながら、同時に体も脳味噌も鉛のように重かった。
ただ、その恐ろしく優しい諦めの臭いは強力で、そのままそれにどっぷりと浸かりたくなり、あたしはすんでの所で逃げ出した。
とにかく怖くて怖くて、あたしは自分を確認しなければと思っていて、体も拭かず部屋の中をうろうろとしていたのだけれど、ふと鏡に映った自分を見て一瞬誰なのだろうと思った。
あれは、あたしが生きてきて一番恐ろしい瞬間だった。
忘れっぽくなってしまった、というより、全ての出来事に現実感がなく、昨日あった事なのか、それとも一週間前だったのか、数ヶ月前だったのか、それともそんな事自体元々存在しなくて、夢だったのか、それすら定かではなかった。人と会った記憶なんかはうっすらと、本当にうっすらと霧か何かの様に残るのだけれど、記憶の中の映像ではあたしは焦点が定まっていなくて、人事の様に自分を見ていて、本当にその場に居たのか、それすら定かではなかった。
あたしはかつて、あたしの頭の中の全てを盗聴されていると仮定して生きていた時期があった。
それはとても小さな子供の頃で、具体的に何歳だとか、何年生だとか、そういったことはもう覚えていないのだけれど、少なくとも、誰が見ても小さな子供だった。
あたしの頭の中での考えは全て何かの電波みたいに垂れ流されていて、誰か固定の人間というよりは、恐ろしく巨大で、寒気がするほど存在感を消せる団体に聴かれていると感じていて、そう感じている事を親にも兄弟にも言えなかった。
連中に悟られてはいけないと警戒していたのだ。
ただあたしは毎日、自分の中で、
「今現在、これを考えているあたしが居て、それを見ているあたしが居て、またそれを見ている私が居て」といった具合に、連中を惑わせる為に始めた意識の分断が、やがてミルフィーユの様に多層化していった。
それは全てが単調に動く簡単なコンピューターの様なもので、並列化されていたが、それぞれは別個に動いていた。
表層部分の頭の中ではあたしは子供らしく、無邪気で、わがままだった。そのひとつ内側ではそれを計算して子供らしく振舞っているあたしが居て、そのまたひとつ内側では計算している自分自身すらも結局計算で、といった具合に、蛇の抜け殻の様に連中を惑わせる為、あたしは全ての力を注いでいた。
あたしは疲弊していた。頭の中が忙しいので食事も食べるのを途中で忘れたし、人と会話していても常に多層化は進めなければいけないのでどこを見ているのか聞いているのか、何を考えているのかもわからないとよく言われたし、非常に疲れていた。
あたしが休めるのは眠りにつくか、意識が飛んだ時だけだった。
あたしは最近までそれを異常だと思った事はなくて、子供の頃なら誰でもやるひとつの遊びみたいなものだと思い込んできたのだけれど、
あたしがとても忘れっぽくなったと感じていたある日、シャワーを浴びていると奇妙な気分に襲われた。
気分が悪いとか寒いとか、怖いとか、眩暈がするだとか、そういった事とは対極にあるような感覚で、 黒い影だとか、そういった形の無いものに毎日怯えていたあたしは、それに触れて不思議と暖かいものに包まれたような、安心感を感じていた。
だがそれには甘ったるい腐敗臭の様な、堕落や怠惰や死といった臭いもしていて、ああ、これが諦めというものなのか、と感じた瞬間、とても怖くなった。
本能的にとにかくこの感覚はとてもまずいものだと思い、必死でその臭いを振り払おうとするのだけれど、あたしの頭は完全に停止していて、また高速で動いている様でもあった。
それはまるで、子供の頃の多層化の様で、あたしは頭の上から降ってくる暖かいシャワーの一粒一粒を意識できるスムーズさを感じながら、同時に体も脳味噌も鉛のように重かった。
ただ、その恐ろしく優しい諦めの臭いは強力で、そのままそれにどっぷりと浸かりたくなり、あたしはすんでの所で逃げ出した。
とにかく怖くて怖くて、あたしは自分を確認しなければと思っていて、体も拭かず部屋の中をうろうろとしていたのだけれど、ふと鏡に映った自分を見て一瞬誰なのだろうと思った。
あれは、あたしが生きてきて一番恐ろしい瞬間だった。
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