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“Day by day, in every way, I’m getting better and better.” 「日々に、あらゆる面で、 私は益々よくなってゆく」 クーエの有名な暗示文です。
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どうして人と人はケーブルで繋がらないのだろう。


ずっとずっとそう思っていた。

そうすればどれだけ悲しいのか、どれだけつらいのか、

どんな気持ちなのか、どんなに憎いのか伝わるのに。

言葉や文章はコミュニケーションツールとして不完全すぎるし、

個々の能力差に頼りすぎる。

小説家の様な人は何が欲しいのか理由も含め的確に伝えるだろうし、
幼稚園児ならあれがほしいとしか言えないかも知れない。


むかしこんな話を聞いた。


生まれて一度も怪我をした事の無い二人の男が居た。

ある日一人の男は躓いて、生まれて初めて怪我をした。

血が出てすこしすりむいて、それはそれは痛んだ。

初めて血を見た男は、なんて痛いんだ!と驚き、

男は、もう一人の男の所にそれを伝えに行った。



もう一人の男は同じ日、りんごを取ろうと木に登っていて、不運にも落ちてしまった。

もう一人の男もその日、生まれて初めて怪我をした。

もう一人の男は骨折していて、それはそれは痛んだ。

初めて血を見た男は、なんて痛いんだ!と驚き、すりむいた男にそれを伝えようと思っていた。


丁度すりむいた男がやってきて、生まれて初めて転んだ事、生まれて初めて血が出た事、
それがどれだけ痛かったかを話した。

骨折した男はそれはそれはかわいそうにと心から同情したが、自分も今日木から落ちて、生まれて初めて骨折をし、
それがどれだけ痛かったかを話した。

すりむいた男はそれはそれはかわいそうにと心から同情したが、
生まれて初めてすりむいたので、きっと自分の方が痛かったに違いないと思い、そう告げた。

すると骨折をした男もそんなはずはない、こんなに痛いのだから、
自分の方が痛かったに違いないと主張した。

しかしすりむいた男もそんなはずはない、こんなに痛いのだから、
自分の方が痛いに違いないと主張し続けた。

結局ふたりはお互いに生まれてはじめての痛みだった為、
相手の痛みを知らない為、
比べる手段もケーブルもついていなかった為、
知識が無かった為、
相違えてしまい、それっきり疎遠になってしまったそうだ。

これはおとぎ話だけれど、事実こんな事は多々起こる。

経験の無い痛みは想像でしかない。
それを超えることはないし、比べることもできない。
ましてや他人の痛みなんて、わかったフリしかできない。


だから私達がケーブルで繋がりあわない限り、

私達は誰かの痛みを勝手に決めてはいけないし、
決め付けることなどできない。

自分も痛かったけれど、あなたもきっと痛かったのね、
とだけ言えれば、男達は相違えることもなかったのだろうけれど。

なかなかそれが、人には困難だ。
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