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“Day by day, in every way, I’m getting better and better.” 「日々に、あらゆる面で、 私は益々よくなってゆく」 クーエの有名な暗示文です。
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唐突だけれど、うちの叔母は教祖だ。

教祖に一番近かった、の方が、あたしの感想としては近いけれど。

うちの母の姉が宗教をやっていて、

たまたま「神様の日」とやらに生まれたのがあたしなのだ。

そこそこ大きな宗教で、地元では有名だった。

だがありがたい、ありがたいといわれるのも苦痛だったし、

親族一同が信者で、あたしはそれも気に食わなかった。

中には遠いところの社長さんなんかも多数居て、

遠いところからいらして、本人に会えなかったとしても多額のお金を置いていっていて、

本当に感謝しているようだった。

あまりお金の無い人もまた、彼女に会える会えない関係なく、

来るたびお饅頭やら、その人のできる限りのお礼をしていた。

だがあたしは全てが気に食わなくて、彼女自身も好きではなかった。

怪しげなものに皆が騙されていると思っていたからだ。

だがうちの宗教は、あたしが知る限り、

つぼを売ったりだのお金を多額にとったりしないタイプで、

ありていに言えば占いに近い。

生年月日と名前を紙に書くと、「恐ろしいほどあたる」のだそうだ。

過去も、これからも。

ちなみに、あたるのだそうだ、と予測の表現を使ったのには理由があって、
かつてあたしは一度もそれをされたことが無い。

ずっと拒否していたのだ。彼女も、彼女を信じる人々全てを、宗教そのものを。

10代の頃、何度も何度も母と喧嘩をした。

宗教なんてくだらない。嘘っぱちだ。

そしていつも月並みで、ありふれた言葉で母を罵った。

「宗教なんて、心の弱い奴がやるものだ!!!」

ひどく後悔している。

ただ言い訳を言わせてもらえば、
あたしは子供で、配慮を知らず、ただ無知だった。


ちなみに教祖である彼女は若い頃から美しかったらしいが、
神と結ばれるという契約があるらしく、生涯独身で通した。

そんな彼女の最期は一般的なもので、乳がんだった。
アガリクス茸だかなんだかあやしげな健康食品で戦っていて、
抗がん剤治療は最初しなかったのだけれど、
容態がよくっなっていたのは一時的で、
結局抗がん剤治療が始まった。

最期に彼女に会った時を鮮明に覚えている。

病室で、やせ細った体は真っ白で、病室の壁より白いのではないかと思った。

髪は抜け落ち、粘膜という粘膜から出血していて、目のふち、唇、鼻の中、

すべてが真っ赤で、皮膚自体簡単にはがれてしまいそうで、

触ったらはがれるのではないかと恐ろしかった。

彼女は喉などの内部の粘膜もぼろぼろらしく、
もう言葉を発せられないらしかったが、
目だけは強烈な、むしろ激烈な意思を持っているように見えた。

あたしは正直、上記の理由で触れるのすら恐ろしかったのだけれど、
周りに言われるがまま彼女の手を握り、
一言二言がんばってくれだとか有体な事を話したのだが、
彼女はゆっくりとあたしの方を向き、
その強烈なまなざしで見つめ、ゆっくりとうなずいた。

介護をメインでしていた彼女の一番上の姉は
「もう何を言っても理解できないし死んでるようなものだ」
と彼女の目の前で大声で言っていたが、
あたしはそうではないと直感で思っていた。

彼女に意思はあったし、理解もしていた。
絶対にそうだと、あの目を見て思った。
そしてあたしは誓った。抗がん剤治療だけはやらないでおこう。


そんな彼女が亡くなった時、初めて信者の本当の多さと、
狂信的なまでの信じ様に驚いた。

全員泣き崩れていたし、これからどう生きれば良いのかわからないとまで言って泣いていた。

遺骨に対面して倒れる人も数人居たし、異質な空気が漂っていた。

そしてその後、うちの宗教の神殿に向かった。

神殿は山の中にあり、神社に似てる。

鳥居から神殿までは大きめの砂利がひいてあって、痛くて痛くてとてもじゃないけれど座れない。

だが用意された薄いブルーシート一枚の上に、皆が黙々と座っていく。

あたしも真似をして座ってみたが、弁慶の泣き所がちょうど砂利石にあたって、

とてもじゃないがすわっていられなかった。

だが信者達は身動きひとつせず座っていた。

これがあたしとあの人達の違いなのだろう。

そして儀式が始まる。

のりと と呼ばれるお経の様なものを、三番目の姉が読み上げ、薪をたく。

徐々に場内の空気の密度が増した気がしていた。、

それが30分程度続いただろうか。

それは突然起こった。

最前列でのりとを読み上げていた彼女の三番目の姉が、聞いたことの無い奇声を発しだした。

かと思うと、座っているだけで痛い砂利の上で、

手を合わせたまま正座したままジャンプしだしたのだ。

しかもとんでもない高さまで飛ぶ。

暫くすると、まるでウェーブのように信者にジャンプが伝わってくる。

最後には全員が、手を合わせた状態で、石砂利の上で正座でジャンプをしていた。

今度は彼女の三番目の姉が、聞いた事の無い様な低い低い声で、何かを言った。

神様の言葉らしく、あたしには理解できなかったけれど、前列に居た人は

「ありがたや、ありがたや、集まってくれてありがとう、
 私は神になった。これからは、祈ろう、あなた方のために」と言ったと言っていた。

嘘か本当か興味は無かったけれど、全員が号泣していた。

そんな異質な場面を目にしたのにもかかわらず、全員が泣いていた。

あたしは無精者で神を信じず、だめな人間だけれど、あの空間は怖くて、そして少し荘厳だった。

うちの母は二番目の姉にあたる。

今回の儀式や葬式には殆ど関わらせてもらえていない。

いろいろな事情があり、親戚の中では、

私達の一家はいつしかひどい扱いをうける一家となってしまった。

だが理由は私の父親、お母さんの旦那にあり、お母さんは悪くないのだ。

あたしはそれが不憫で、あたし達を言及するならともかく、

母だけは、兄弟として同等に接してあげて欲しかった。

叶わなかったけれど。

宗教とは、そういうものなのだろうか。

そりゃあ宗教によって考え方が違うのは知っているが、

少なくとも亡くなった教祖である母の妹は、生前母を慕っていたし、

のけ者になんてしなかった。

葬式が終わった後の食事会も部屋を別にされた。

休憩するところですら別にされた。

居場所のなくなったあたし達は全員で自分の車に乗り込んだ。

悔しかった。悲しかった。憎かった。情けなかった。

宗教とは、そういうものなのか。

宗教とは、この程度のものなのか。

人のエゴで人を差別し、それを善として笑っていられる、

そんなものなのか?

完全な、人間のエゴの、醜い醜い塊じゃないか!!!

完全に失望したあたしは、

宗教自体を完全に否定した。

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彼は言った。

「ごめんなさい」

あたしは言った。

「どうして謝るの?」

彼は続けた。

「俺は、お前の要求にこたえられていないみたいだから。ごめんなさい」

あたしは暫く黙っていた。




あたしは失望した。
それからあたしは、靴をはかなくなった。

そして電話に出なくなった。

誰とも会えなくなった。

誰とも話せなくなってしまった。

そうして今に至る。


もう3ヶ月になる。

猫が戻ってきてから、一度も不動産管理会社とは関わってはいない。

彼氏はまだ怒っていたけれど、あたしはもう疲れていたし、
何よりあたしが、生まれて初めて人を罵る程必死だったのは、
この子が、例え毛の一本でも戻ってきてくれる為であって、
今横で幸せそうな顔をして眠っているこの子が居れば、
あの人にされた事も言われた事も、それに比べれば何でもない事だった。

だがそうやって篭ってばかりもいられない。
こうやって本格的に篭ることは、実は3回目なのだけれど、
今回が一番やっかいだった。

病院には今回も通っている。

今回は新しい病院。

あたしは言った。
「外に出たい。働きたい。もう、忘れたい」

「外に早く出たい。でも、眠くはなりたくない」と言ったので、

白い服の人はトレドミン25をメインにだして、
安定剤はどんどん効果の少ないものになっていった。

薬はどんどん増え、きつくなって行く。

「効いてないんです。外に出られない。もっと、もっと薬を」

だがもうあたしに出されていた薬は全てリミット量らしく、
あたしはこれ以上は楽になれないのかと、その申告にひどく失望した。

簡単に言うとアップ系、
意欲は高まるがイライラもしてしまう薬を多用していたので、

この頃のあたしは酷く気が荒く、喧嘩っ早かったのを覚えてる。

何度か通ったある日、白い服を着た人は言った。

「薬が結果を出していない。きっかけの様なものが、必要ですね」

あたしは葛藤していた。
外にでなきゃいけない、社会通念として、出なければいけない。
そして何より自分のために、
「忘れたい。外に出て忙しく働いて全て忘れたい」
という強迫観念があった。

でも実際には出られない。怖くて怖くて外では息ができない。
無理やり電車に乗ってみたら数駅目で吐いてしまった。

おまけに一人で病院にも行けない。

社会常識から判断し、酷く自分を卑下していたあたしには、

この頃の葛藤は、とても辛かった。

そして何よりつらかったのが、夢を見ることだった。

赤ちゃんが叫ぶのだ。

なんて叫んでいるのかは覚えていないのだけれど、

起きたら泣いていた。

そんな日が続く。

あたしは、日に日に狂っていった。


そしてある時から突然、昼間パニックを起こす様になった。

「生きたい!死にたくない!!行きたい生きたい生きたい死にたくない!!!」
と叫んで物を投げ散らかすのだ。

4年位前、ごく一般的なうつで悩んでいた時は、
自分の存在を消したくて、
布団の中で消えてしまえればいいのにと思っていたけれど、
こんなタイプのパニックは初めてで、自分でも混乱した。

あたしはおそらく、生きたかったんだろう。

そしてそれを大声で叫ばなければいけないほど、

あたしは死にそうになっていたのだろう。

赤ちゃんができたといわれた時、優しくおなかをさすった。

赤ちゃんが今死のうとしているその時、あたしは激痛の中で、

赤ちゃんと自分を同一視していた。

「痛いのかな、痛いのかな。少しでも、少しでもこの子が、
 少しでも苦しまずに、あの世にいけますように。」

激痛の中そう祈り、泣きながら、
情けないあたしは言葉を発したのを覚えてる。



そして、あの子は逝ってしまった。

あたしも、一緒に逝って欲しかったかな。

一緒に逝ってあげたほうがいいのかな。

逝ったら喜んでくれるのかな。

でも 

死にたくないよ まだ 死にたくない

勝手だけれどあたしはまだ 死にたくない。

あたしの中で、狂気と正気がぶつかり合う。

やがて正気は狂気で、狂気は正気になり、

ぐるぐるとしたあたしは、引き込まれる様に日々死にそうになる。

死にたくない

死んでしまいそう

死にたくない!!

死んでしまいそう

死にたくない!!!!





そしてあたしはある日、とうとうODをしてしまった。






流血量ったらなくて。

それはそれは、すごかった。

一時間に何度も何度もお手洗いに行くのだけれど、

夜用ですら追いつかない。

そしてあたしはだいたい想像がついていた。

きっとこの赤いものは赤ちゃんのベッドだったもので、

あたしが処理しているナプキンの中で、赤ちゃんは泣いているのだろうと。

病院に向かう。

赤ちゃんが入って居るであろうナプキンを、
持っていくべきかどうか少し悩んだけれど、

結局あたしは体一つで行った。

そして先生は、最初の時と同じように、

しかし今度は、小さな小さな生き物が居なくなった黒い紙を見せながら、

あたしに淡々と言った。

「おそらく流産ですね。きれいに流れていると思います。
 もしかすると赤ちゃんの残骸が残っていて、
 手術が必要になるかもしれません。

 症状が安定するまで、これから毎日、必ず来てください。
 それから、菌に弱くなっているので、その後は
 感染症を防ぐため、シャワーももちろん、
 二週間の外出禁止です。」

あたしは言われた言葉を素直に受け取り、素直に実行した。

お風呂も我慢したし、二週間靴をはかなかった。

ただただ、ずっと、同じことを考えていた。



あたしが痛くて痛くて転がっていた時、

きっと赤ちゃんも痛くて痛くて、泣いたのだろう。

崩れ落ちる子宮の中を逃げ惑って、
怖くて怖くて、あたしに助けを求めたのかもしれない。

あたしは、あたしは何をしてあげたのだろう。

赤ちゃんが痛いよ痛いよって泣いてるのに、

あたしは、なにをしてたのだろう。

あたしが、あの子を殺したのだ。

小さな小さなあたしの赤ちゃんを、あたしは、殺してしまった。



だが神様はやっぱり意地悪だった。


家につき、この子が居る幸せをかみ締め、

くそ夜中にもかかわらず、
なんて幸せなんだろう、なんて幸せなんだろうと
何度も何度も話しながら、お皿いっぱいのごはんと、
きれいなお水と、ふかふかのおふとんを用意した。

次の朝、起こしに来る彼女を見て至福を感じる。

あたしにこれ以上の幸せは無い。

本当に心からそう感じた、そんな日だった。


お昼過ぎ、猫をなでていると、少しお腹が痛んだ。

赤ちゃんだ。

病院からは一週間以内に決めろといわれていたのに、

もう13日は経ってる。

電話しなきゃな、そんなことを思っているうち、

痛みがどんどん増す。

鎮痛剤を飲む。

脂汗が噴出すが、鎮痛剤が利くまでの辛抱だ、と言い聞かせる。

そのうち立ってられなくなり、ベッドに倒れこむ。

だが15分待っても30分待っても鎮痛剤が効かない。

痛みは増すばかりだった。

そしてあたしは言い切れる。


あれは生まれて初めて味わう程の強烈な痛みだった。

生理痛なんてまだ、かわいいものだった。

子宮が熱くて熱くて、破裂しそうな痛み。

腰も背中もお腹も全部痛くて、もうどこが痛いのかもだんだんわからなくなっていく。

絶えかね転がりまわる。

そのうち、これは尋常ではないと判断し、彼に電話。

彼が戻ってくるまでのほんの10分で、あたしは急変していた。

その頃になるともう、痛みで目が開かなかった。

脂汗をかきながら、ケモノの様な大きな叫び声を常にあげ続けて、

右に左に転がっていた。

同フロア住人はさぞかしびっくりされた事と思う。

彼はしきりに「救急車を」と言ったが、

あたしは煩わしくて、必死に「やめてくれ、ほっといてくれ」となんとか言葉にする。

叫び声のせいでうまく息ができない。言葉を発するのさえ困難で。

何度も何度も救急車呼ぶよ?と聞く彼が煩わしかった。

鎮痛剤を更に更に飲んで、

一時間程苦しんだ後、汗にまみれ、体全体でぜいぜいと息をし、

ケモノの叫び声をやめる事ができる位になってきた。

それでも痛みに波があって、強烈な大波の時にはやっぱり大声を出してしまう。

面白かったのは、あたしは痛みで狂っていた時、
おろおろと狼狽する彼の横で、
猫ですらおろおろと狼狽していたことだった。

彼も猫も、あたしの顔の周りをせわしなく右往左往し続け、

最終的に彼はあたしの手を握り、彼女はあたしの唇を優しく噛んだ(何故)

そんな事が数時間続いた後、やっと立ち上げれるようになったあたしは、

彼に支えられながらトイレに向かった。

そしてぼんやりと、自分の下着を見つめた。

そこには、大量の鮮血があった。
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