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“Day by day, in every way, I’m getting better and better.” 「日々に、あらゆる面で、 私は益々よくなってゆく」 クーエの有名な暗示文です。
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医者を変えた。
といっても10月2日のことだけれど。

さすがにずっと通っていた医者に
「ODしました」とは言いにくかったし、
そこでの薬物治療方針に限界を感じていたので、
いい機会だと思った。

今通っている病院は前の病院より前に一度行っているが、
遠かったのでやめた医院だった。

あたしは言った。
ここ数ヶ月の事を。

子供の妊娠。猫の失踪。不動産屋の対応。そして流産。
OD。悲しい顔をした彼の首を絞め続けたこと。

すると彼はカルテを見ながら数ヶ月前あたしがいった事を、つまり
「外に出たいのです」に対処しようと、
慌てて他病院を、カウンセリングをされている病院を紹介しようとファイルを慌ててめくっていた。

あたしは慌てた。

「あたしはもう外に出ようと思わないのです。いまのままで幸せです。
 それでも、カウンセリングは必要ですか?」
彼は戸惑いながら、ここでは薬物治療が中心になると丁寧に説明してくれた。

わかった上で来ていたので不必要な情報ではあったが、親切だと感じた。

前の病院では、元気になりたい、忘れたいと叫んだので、
トレドミン25を一日6錠出されていた。

だが今の病院では
「外に出たいと思わない。それより二度とあの人を傷つけたくない」
といったので、
前の病院で頓服で出ていた、落ち着くためのレキソタン5mgをメインにされた。
これは的確に効果をだし、喧嘩は確実に減ったが、あたしは常にぼんやりしていた。

だが問題はまだいくつかあった。

突発的にパニックを起こし、死にたくない!!とパニックに陥ると話すと
頓服でセレネースが出された。

寝つきが悪いといったらゼストロミンが出されたが、二回目の診療の際、途中で起きてしまうと言ったらロラメットになった。

夜が怖いのだ。

うまくいえないけど、夜が怖い。

彼が寝てしまって、人が居るのにあたし一人というその状況が、
怖くて怖くて仕方なかった。

だから薬を飲んで、怖くないうちに、赤ちゃんの夢を見ないうちに寝ようと必死で努力する。

が、そうこうしているうちに、疲れていたのだろうけど金縛りにあう。
ますます夜が怖くなる。

だからそれから、夜は、トレドミンとセレネースとロラメットを飲んで、死ぬようにぱったりと眠るようにしている。

薬で眠り、薬で感情をコントロールされる。

まるで人形じゃないか。なんて滑稽なんだ。
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誰かが痛い痛いって泣いてて

暗がりだからよく見えないけど、

どうも子供で

かわいそうであやしてたら 

よく見たらちっちゃい頃のあたしだった


お母さんが作ってくれた白のワンピース着て

おっきなつばの広い麦わら帽子かぶって

鼻水垂らして泣いてんの

ぶっさいくで笑ったら少しムッとして

あたしの黒いワンピースのすそで鼻水拭きやがった。

変な夢。

嘘の嘘はほんと
ほんとの嘘は嘘
文としての嘘はほんと
言葉としての嘘は嘘

猫の嘘は嘘
猫のほんとは嘘


嘘をついた猫はほんと
猫は嘘をつくから正直者

若い子に多い。
「宗教なんて必要ないし」
「心の弱い人がやるんでしょ」

決して間違えてはいない。

だが今のあなた達が宗教を必要としないのは、
宗教という形を否定しているだけであって、
実はもう宗教に入っているようなものなのだ。

何故なら、あなた方は自己を正当化、神格化する事によって、

自分自身を支えている可能性が高い。

特に無宗教な日本人には無自覚に多い。

信じられるものがないから、自分を神格化して、正当化する。


だがそこに歴史的教訓も、聖書すら無い為に常に不安定だし、

しばしば暴走する。

その神格化、うまくいけばいいな、とだけ思うけれど。



そしてそれはあたしも例外ではなかった。

あたしも自己神格化に目覚め、(たつもりに)なったのだけど、

あまりに不安定過ぎる。

これでは自己神格化どころかただの自己中だ。

いや、本来自己神格化と自己中は似て非なるものなのだけれど、

一般人がやるとほとんど同じだ。



やっぱり、ぴったりくる宗教あればいいのに、と常に思う。






20歳を越えた頃、そう、ちょうど子宮が潰れているよと言われた頃。
あたしは奔走していた。

あたしの彼は転勤族で、最短2週間で引っ越したことさえある。
約7年間で8回の引越しをしている。

友達ができる時間も無かったし、旧友を簡単に呼べるほど近くもなかった。

彼は激務で朝の7時から夜の12時前まで帰ってこない。

ひとりぼっちのあたしは、窓から見える四角い空を見てはぼんやりする事が多くなっていった。
 
日増しに自分で自分を保てなくなっていたあたしは回りに当り散らし、
家から徐々に出られなくなっていった。

四角い空を毎日見上げ、通り過ぎる人を見ては

「あたしは あたしはここに居るのに!誰か!誰か気づいて!」と泣いた。

自分自身の存在価値を見出せなかったし、箱庭の中では毎日空は四角かった。

とうとう手がつけられなくなったあたしは、自分の意思で精神科に行った。
薬物治療を始める。
別カテゴリーで参考になるかどうかはわからないが書くつもりだが、
ここは最悪だった。
見た目はきれいなんだけれど、医者の対応が本当に馬鹿にしていた。
おまけに診療もせず薬を出す医者だ(笑)
もちろん違法。
だが他の良い医者の知識が無かったあたしはそこに通うことになる。

その医者に会うのが嫌で嫌で仕方なかったあたしは、
毎日飲む薬の量をなるべく少なくして、
なるべく行かないようにしていたが限界があり、二ヶ月に一度嫌な思いをしていた。
あたしは奔走していた。薬物治療に限界を感じていたからだ。

そしてあたしはある日唐突に気が付いたのだ。

究極、人間を救うのは宗教なのだ、と。

宗教はしきりに勧誘をする。

だが宗教が人を求めるのではない。人が宗教を求めるのだ。

迷い、悩み、苦しみ、苦悶する。

そこに「それでいいのですよ」と誰かが言ってくれる。

是ほど幸せなことはない。

それが歴史に裏づけされ、体系化された宗教そのものなのだと唐突に気づいたのだ。

随分遠回りをしたものだ。結局答えは近くにあったのに。

そこからあたしは宗教関連の本を読み漁る。
なぜイエスは隣人を愛すのか。なぜアッラーの神に祈るのか。
生まれ変わりとは何か。業とは何か。

基本的な所からはじめ、宗教書を読み漁る。

が、どれもしっくりとはこなかった。

矛盾を感じるし、どの言葉に背中を押されても幸せになれる気がしなかった。

これは本当に、非常に残念だった。

だからあたしはその頃から公言している。

「究極、人を救うのは宗教だ。」

大抵の日本人はいぶかしげな顔をする。
何より儀式として必要だから仏教を利用しているような一般的な日本人には、
宗教観で戦争が起こる事自体ナンセンスだ。
だからその反応は至極正しい。

だがあたしは続ける。
「だからあたしは、これからずっと、あたしにぴったりとくる宗教を探していく」


















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