“Day by day, in every way, I’m getting better and better.”
「日々に、あらゆる面で、
私は益々よくなってゆく」
クーエの有名な暗示文です。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
唐突だけれど、うちの叔母は教祖だ。
教祖に一番近かった、の方が、あたしの感想としては近いけれど。
うちの母の姉が宗教をやっていて、
たまたま「神様の日」とやらに生まれたのがあたしなのだ。
そこそこ大きな宗教で、地元では有名だった。
だがありがたい、ありがたいといわれるのも苦痛だったし、
親族一同が信者で、あたしはそれも気に食わなかった。
中には遠いところの社長さんなんかも多数居て、
遠いところからいらして、本人に会えなかったとしても多額のお金を置いていっていて、
本当に感謝しているようだった。
あまりお金の無い人もまた、彼女に会える会えない関係なく、
来るたびお饅頭やら、その人のできる限りのお礼をしていた。
だがあたしは全てが気に食わなくて、彼女自身も好きではなかった。
怪しげなものに皆が騙されていると思っていたからだ。
だがうちの宗教は、あたしが知る限り、
つぼを売ったりだのお金を多額にとったりしないタイプで、
ありていに言えば占いに近い。
生年月日と名前を紙に書くと、「恐ろしいほどあたる」のだそうだ。
過去も、これからも。
ちなみに、あたるのだそうだ、と予測の表現を使ったのには理由があって、
かつてあたしは一度もそれをされたことが無い。
ずっと拒否していたのだ。彼女も、彼女を信じる人々全てを、宗教そのものを。
10代の頃、何度も何度も母と喧嘩をした。
宗教なんてくだらない。嘘っぱちだ。
そしていつも月並みで、ありふれた言葉で母を罵った。
「宗教なんて、心の弱い奴がやるものだ!!!」
ひどく後悔している。
ただ言い訳を言わせてもらえば、
あたしは子供で、配慮を知らず、ただ無知だった。
ちなみに教祖である彼女は若い頃から美しかったらしいが、
神と結ばれるという契約があるらしく、生涯独身で通した。
そんな彼女の最期は一般的なもので、乳がんだった。
アガリクス茸だかなんだかあやしげな健康食品で戦っていて、
抗がん剤治療は最初しなかったのだけれど、
容態がよくっなっていたのは一時的で、
結局抗がん剤治療が始まった。
最期に彼女に会った時を鮮明に覚えている。
病室で、やせ細った体は真っ白で、病室の壁より白いのではないかと思った。
髪は抜け落ち、粘膜という粘膜から出血していて、目のふち、唇、鼻の中、
すべてが真っ赤で、皮膚自体簡単にはがれてしまいそうで、
触ったらはがれるのではないかと恐ろしかった。
彼女は喉などの内部の粘膜もぼろぼろらしく、
もう言葉を発せられないらしかったが、
目だけは強烈な、むしろ激烈な意思を持っているように見えた。
あたしは正直、上記の理由で触れるのすら恐ろしかったのだけれど、
周りに言われるがまま彼女の手を握り、
一言二言がんばってくれだとか有体な事を話したのだが、
彼女はゆっくりとあたしの方を向き、
その強烈なまなざしで見つめ、ゆっくりとうなずいた。
介護をメインでしていた彼女の一番上の姉は
「もう何を言っても理解できないし死んでるようなものだ」
と彼女の目の前で大声で言っていたが、
あたしはそうではないと直感で思っていた。
彼女に意思はあったし、理解もしていた。
絶対にそうだと、あの目を見て思った。
そしてあたしは誓った。抗がん剤治療だけはやらないでおこう。
そんな彼女が亡くなった時、初めて信者の本当の多さと、
狂信的なまでの信じ様に驚いた。
全員泣き崩れていたし、これからどう生きれば良いのかわからないとまで言って泣いていた。
遺骨に対面して倒れる人も数人居たし、異質な空気が漂っていた。
そしてその後、うちの宗教の神殿に向かった。
神殿は山の中にあり、神社に似てる。
鳥居から神殿までは大きめの砂利がひいてあって、痛くて痛くてとてもじゃないけれど座れない。
だが用意された薄いブルーシート一枚の上に、皆が黙々と座っていく。
あたしも真似をして座ってみたが、弁慶の泣き所がちょうど砂利石にあたって、
とてもじゃないがすわっていられなかった。
だが信者達は身動きひとつせず座っていた。
これがあたしとあの人達の違いなのだろう。
そして儀式が始まる。
のりと と呼ばれるお経の様なものを、三番目の姉が読み上げ、薪をたく。
徐々に場内の空気の密度が増した気がしていた。、
それが30分程度続いただろうか。
それは突然起こった。
最前列でのりとを読み上げていた彼女の三番目の姉が、聞いたことの無い奇声を発しだした。
かと思うと、座っているだけで痛い砂利の上で、
手を合わせたまま正座したままジャンプしだしたのだ。
しかもとんでもない高さまで飛ぶ。
暫くすると、まるでウェーブのように信者にジャンプが伝わってくる。
最後には全員が、手を合わせた状態で、石砂利の上で正座でジャンプをしていた。
今度は彼女の三番目の姉が、聞いた事の無い様な低い低い声で、何かを言った。
神様の言葉らしく、あたしには理解できなかったけれど、前列に居た人は
「ありがたや、ありがたや、集まってくれてありがとう、
私は神になった。これからは、祈ろう、あなた方のために」と言ったと言っていた。
嘘か本当か興味は無かったけれど、全員が号泣していた。
そんな異質な場面を目にしたのにもかかわらず、全員が泣いていた。
あたしは無精者で神を信じず、だめな人間だけれど、あの空間は怖くて、そして少し荘厳だった。
うちの母は二番目の姉にあたる。
今回の儀式や葬式には殆ど関わらせてもらえていない。
いろいろな事情があり、親戚の中では、
私達の一家はいつしかひどい扱いをうける一家となってしまった。
だが理由は私の父親、お母さんの旦那にあり、お母さんは悪くないのだ。
あたしはそれが不憫で、あたし達を言及するならともかく、
母だけは、兄弟として同等に接してあげて欲しかった。
叶わなかったけれど。
宗教とは、そういうものなのだろうか。
そりゃあ宗教によって考え方が違うのは知っているが、
少なくとも亡くなった教祖である母の妹は、生前母を慕っていたし、
のけ者になんてしなかった。
葬式が終わった後の食事会も部屋を別にされた。
休憩するところですら別にされた。
居場所のなくなったあたし達は全員で自分の車に乗り込んだ。
悔しかった。悲しかった。憎かった。情けなかった。
宗教とは、そういうものなのか。
宗教とは、この程度のものなのか。
人のエゴで人を差別し、それを善として笑っていられる、
そんなものなのか?
完全な、人間のエゴの、醜い醜い塊じゃないか!!!
完全に失望したあたしは、
宗教自体を完全に否定した。
教祖に一番近かった、の方が、あたしの感想としては近いけれど。
うちの母の姉が宗教をやっていて、
たまたま「神様の日」とやらに生まれたのがあたしなのだ。
そこそこ大きな宗教で、地元では有名だった。
だがありがたい、ありがたいといわれるのも苦痛だったし、
親族一同が信者で、あたしはそれも気に食わなかった。
中には遠いところの社長さんなんかも多数居て、
遠いところからいらして、本人に会えなかったとしても多額のお金を置いていっていて、
本当に感謝しているようだった。
あまりお金の無い人もまた、彼女に会える会えない関係なく、
来るたびお饅頭やら、その人のできる限りのお礼をしていた。
だがあたしは全てが気に食わなくて、彼女自身も好きではなかった。
怪しげなものに皆が騙されていると思っていたからだ。
だがうちの宗教は、あたしが知る限り、
つぼを売ったりだのお金を多額にとったりしないタイプで、
ありていに言えば占いに近い。
生年月日と名前を紙に書くと、「恐ろしいほどあたる」のだそうだ。
過去も、これからも。
ちなみに、あたるのだそうだ、と予測の表現を使ったのには理由があって、
かつてあたしは一度もそれをされたことが無い。
ずっと拒否していたのだ。彼女も、彼女を信じる人々全てを、宗教そのものを。
10代の頃、何度も何度も母と喧嘩をした。
宗教なんてくだらない。嘘っぱちだ。
そしていつも月並みで、ありふれた言葉で母を罵った。
「宗教なんて、心の弱い奴がやるものだ!!!」
ひどく後悔している。
ただ言い訳を言わせてもらえば、
あたしは子供で、配慮を知らず、ただ無知だった。
ちなみに教祖である彼女は若い頃から美しかったらしいが、
神と結ばれるという契約があるらしく、生涯独身で通した。
そんな彼女の最期は一般的なもので、乳がんだった。
アガリクス茸だかなんだかあやしげな健康食品で戦っていて、
抗がん剤治療は最初しなかったのだけれど、
容態がよくっなっていたのは一時的で、
結局抗がん剤治療が始まった。
最期に彼女に会った時を鮮明に覚えている。
病室で、やせ細った体は真っ白で、病室の壁より白いのではないかと思った。
髪は抜け落ち、粘膜という粘膜から出血していて、目のふち、唇、鼻の中、
すべてが真っ赤で、皮膚自体簡単にはがれてしまいそうで、
触ったらはがれるのではないかと恐ろしかった。
彼女は喉などの内部の粘膜もぼろぼろらしく、
もう言葉を発せられないらしかったが、
目だけは強烈な、むしろ激烈な意思を持っているように見えた。
あたしは正直、上記の理由で触れるのすら恐ろしかったのだけれど、
周りに言われるがまま彼女の手を握り、
一言二言がんばってくれだとか有体な事を話したのだが、
彼女はゆっくりとあたしの方を向き、
その強烈なまなざしで見つめ、ゆっくりとうなずいた。
介護をメインでしていた彼女の一番上の姉は
「もう何を言っても理解できないし死んでるようなものだ」
と彼女の目の前で大声で言っていたが、
あたしはそうではないと直感で思っていた。
彼女に意思はあったし、理解もしていた。
絶対にそうだと、あの目を見て思った。
そしてあたしは誓った。抗がん剤治療だけはやらないでおこう。
そんな彼女が亡くなった時、初めて信者の本当の多さと、
狂信的なまでの信じ様に驚いた。
全員泣き崩れていたし、これからどう生きれば良いのかわからないとまで言って泣いていた。
遺骨に対面して倒れる人も数人居たし、異質な空気が漂っていた。
そしてその後、うちの宗教の神殿に向かった。
神殿は山の中にあり、神社に似てる。
鳥居から神殿までは大きめの砂利がひいてあって、痛くて痛くてとてもじゃないけれど座れない。
だが用意された薄いブルーシート一枚の上に、皆が黙々と座っていく。
あたしも真似をして座ってみたが、弁慶の泣き所がちょうど砂利石にあたって、
とてもじゃないがすわっていられなかった。
だが信者達は身動きひとつせず座っていた。
これがあたしとあの人達の違いなのだろう。
そして儀式が始まる。
のりと と呼ばれるお経の様なものを、三番目の姉が読み上げ、薪をたく。
徐々に場内の空気の密度が増した気がしていた。、
それが30分程度続いただろうか。
それは突然起こった。
最前列でのりとを読み上げていた彼女の三番目の姉が、聞いたことの無い奇声を発しだした。
かと思うと、座っているだけで痛い砂利の上で、
手を合わせたまま正座したままジャンプしだしたのだ。
しかもとんでもない高さまで飛ぶ。
暫くすると、まるでウェーブのように信者にジャンプが伝わってくる。
最後には全員が、手を合わせた状態で、石砂利の上で正座でジャンプをしていた。
今度は彼女の三番目の姉が、聞いた事の無い様な低い低い声で、何かを言った。
神様の言葉らしく、あたしには理解できなかったけれど、前列に居た人は
「ありがたや、ありがたや、集まってくれてありがとう、
私は神になった。これからは、祈ろう、あなた方のために」と言ったと言っていた。
嘘か本当か興味は無かったけれど、全員が号泣していた。
そんな異質な場面を目にしたのにもかかわらず、全員が泣いていた。
あたしは無精者で神を信じず、だめな人間だけれど、あの空間は怖くて、そして少し荘厳だった。
うちの母は二番目の姉にあたる。
今回の儀式や葬式には殆ど関わらせてもらえていない。
いろいろな事情があり、親戚の中では、
私達の一家はいつしかひどい扱いをうける一家となってしまった。
だが理由は私の父親、お母さんの旦那にあり、お母さんは悪くないのだ。
あたしはそれが不憫で、あたし達を言及するならともかく、
母だけは、兄弟として同等に接してあげて欲しかった。
叶わなかったけれど。
宗教とは、そういうものなのだろうか。
そりゃあ宗教によって考え方が違うのは知っているが、
少なくとも亡くなった教祖である母の妹は、生前母を慕っていたし、
のけ者になんてしなかった。
葬式が終わった後の食事会も部屋を別にされた。
休憩するところですら別にされた。
居場所のなくなったあたし達は全員で自分の車に乗り込んだ。
悔しかった。悲しかった。憎かった。情けなかった。
宗教とは、そういうものなのか。
宗教とは、この程度のものなのか。
人のエゴで人を差別し、それを善として笑っていられる、
そんなものなのか?
完全な、人間のエゴの、醜い醜い塊じゃないか!!!
完全に失望したあたしは、
宗教自体を完全に否定した。
PR